2泊3日の宮沢賢治巡り旅も、いよいよ最終日です。今回の旅では、車で花巻のさまざまな場所を巡ってきました。第1部では、未来都市銀河地球鉄道や花巻駅周辺を訪れ、第2部では宮沢賢治記念館や童話村などを巡りました。そして最終日の3日目は、宮沢賢治が実際に暮らし、農業にも取り組んでいた場所を訪ねます。
宮沢賢治が農業をしていた「賢治自耕の地・下の畑」
3日目の最初に向かったのは、「賢治自耕の地」と呼ばれている場所です。ここは、宮沢賢治が実際に農業を行っていた「下の畑」と呼ばれる場所です。。賢治は農学校の教師を辞めたあと、ここで自ら農業に取り組みながら、農民の生活を豊かにするための活動(羅須地人協会など)に情熱を注ぎました。実際に訪れてみると、観光地のような華やかさはありませんが、あたり一面にのどかな田園風景が広がっています。



「雨ニモマケズ詩碑」と下の畑
下の畑を訪れたら、合わせて見ておきたいのが「雨ニモマケズ詩碑」です。宮沢賢治の代表作の一つである「雨ニモマケズ」。誰もが一度は聞いたことがあるかもしれません。この詩碑は、宮沢賢治が暮らしていた場所や「下の畑」に近い場所に建てられています。





宮沢賢治が「イギリス海岸」と名付けた場所
次に向かったのは「イギリス海岸」です。花巻を訪れるなら、ぜひ行ってみたいと思っていた場所の一つです。名前を聞くと、「なぜ花巻にイギリス海岸?」と不思議に思いますが、実は、ここは海岸ではなく、北上川の川岸です。宮沢賢治が、北上川のこのあたりの景色をイギリスのドーバー海峡沿岸に似ていることから、「イギリス海岸」と名付けました。
賢治は地質にも詳しく、この場所では化石の発掘なども行っていました。自然をただ眺めるだけではなく、「この地面の下には何があるのだろう」と考えていたのではないでしょうか。賢治は空の上にある星だけではなく、足元にある地層や石にも目を向けていたんですね。




【動画】
羅須地人協会
羅須地人協会の建物です。地元では「賢治先生の家」とも呼ばれているこの建物は、宮沢賢治が花巻農学校を退職した後、農民の生活をより良くするための活動を行った場所です。1926年(大正15年)、賢治はここで自炊生活をしながら、農業技術や肥料についての相談したり、農業や芸術についての講義を行ったりしていました。
さらに、レコードコンサートや楽器の演奏なども行われ、農業だけでなく芸術や文化にも触れる場となっていました。現在の建物は、もともと下根子桜にあった賢治の祖父が建てた建物を移築・復元したものです。








まとめ:2泊3日の宮沢賢治巡りを終えて
2泊3日の「宮沢賢治巡りの旅」が終わりました。振り返ってみると、本当にいろいろな場所を訪れることができました。最初は、「銀河鉄道の夜」の舞台になった場所を実際に見てみたいという気持ちから始まった今回の旅でしたが、実際に花巻を歩いて、賢治ゆかりの場所を一つひとつ訪ねているうちに、少しずつ賢治という人のことが身近に感じられるようになりました。
宮沢賢治というと、どうしても「童話作家」というイメージが強かったのですが、実際には文学だけではなく、宇宙や科学、自然、農業、地質など、本当にいろいろなことに興味を持っていた人だったと感じました。今回、賢治ゆかりの場所を巡ってみて、いろいろなことに興味を持ち、自分で確かめてみようとする好奇心の強さが、あの独特の作品を生み出したのではないかと感じました。
もし『銀河鉄道の夜』を読んで、「いつか花巻に行ってみたい」と思っている方がいたら、ぜひ一度訪れてみてください。作品を読んでいるだけでは分からなかった賢治の姿を少し感じることがでると思います。
最後まで全3部にわたる「宮沢賢治巡り旅」にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。




