「日光東照宮と北極星には深い関係がある」といった話を聞いたことはありませんか?
江戸幕府の初代将軍、徳川家康を祀った日光東照宮は、風水や陰陽道の知識を取り入れた設計がされており、その配置が北極星と関係しているという説があります。実際はどうなんでしょうか。この記事では、日光東照宮と北極星、そして北斗七星との関連に関する諸説を紹介し、その背景を探っていきます。
日光東照宮の歴史
徳川家康は1616年、75歳で亡くなり、遺言に従って静岡県の久能山に埋葬されました。しかし、翌年、家康の霊を日光へ移す儀式(遷座)が行われましたが、遺骨が実際に移されたかどうかについては諸説あるようです。
この遷座に関しては、風水や陰陽道の思想が影響を与えた可能性が指摘されており、徳川家康は死後、「東照大権現」として神格化され、その霊を祀るために日光東照宮が建立されました。この建設には風水の知識が取り入れられ、日光東照宮の配置が計画されたと言われています。さらに、陽明門と鳥居を結ぶ延長線が北極星と関連しているとの説もあり、これが風水や陰陽道の影響を示す一例とされています。


北極星の神秘的な力
北極星は地球の北極軸とほぼ一致する位置にあり、夜空でほとんど動かない星として知られています。そのため、古代中国では宇宙を司る神である「天帝」の住まいと考えられ、日本においても不動の星として神聖視されてきたといわれています。特に陽明門と鳥居の配置が北極星と関連していると考えられています。
江戸から日光東照宮へ続く「北辰の道」
江戸から日光への道は、「北辰の道」と呼ばれ、北極星(北辰)を象徴する道とされ、この「北辰の道」を南に進むと日光東照宮から江戸城へ至り、逆に江戸城から北に向かうと日光が北極星を象徴する位置にあると解釈されることもあります。これは、北極星を天の中心と見なす考え方に基づいており、江戸時代の風水や陰陽道の思想とも深く結びついたと言われています。
当時の測量技術は非常に高く、特に日光東照宮のような重要な建物には、正確な位置や方位を決めるためにさまざまな工夫が施されていました。太陽の動きや星座の観測をもとに真北を特定し、その技術が「北辰の道」の設計にも活用されたと考えられています。
日光東照宮は江戸城から真北に位置していたのか?
日光東照宮は江戸城から見て厳密に真北に位置しているわけではなく、おおむね北の方向にあります。風水や陰陽道の観点から重要視されたという説がありますが、意図的にその方位が定められたかどうかについては確証がないようです。また、江戸城の「鬼門封じ」との関連が指摘されることもありますが、この説にも諸説があり、確実な証拠は見つかっていません。ただし、当時の測量技術の誤差や地形の制約などが影響した可能性も考えられます。

日光東照宮創建日の夜空をシミュレーション
徳川家康が亡くなったのは1616年(元和2年)の4月17日で、この日、家康公は75歳で生涯を閉じました。また、日光東照宮の創建に関しては、1617年4月8日に家康公の遺骸が日光に移され、改葬の儀式が行われたことが記録されています。では、1617年4月8日の夜空はどうなっていたのでしょうか?また、2025年4月8日とどのように異なるのでしょうか?
下の図は、東京都千代田区から見た1617年4月8日0時の北の夜空と、2025年4月8日0時の北の夜空を示しています。「縦線」は真北、「〇」は北極星を示しています。北極星は405年の間に微妙に位置が変化しています。これは地球の「歳差運動」によるもので、星の位置は常に一定ではなく、時間とともに変わっていきます。


【参考】歳差運動
北極星は、地球の自転軸が指す方向に位置しており、時間や季節が変わってもほぼ同じ位置に見えるため、北の方角を知るための目安として利用されます。しかし、地軸は約23.4度傾いており、その方向は約26000年の周期で移動します。この現象は「歳差運動」と呼ばれ、太陽、月、惑星の引力によって引き起こされます。

1617年の北極星と2025年の北極星の違い
1617年と2025年の北極星の偏角(真北からのズレ)を比較すると、約0.75°の差があると計算されます。
・1617年の北極星の偏角:約 3.7°
・2025年の北極星の偏角:約 3.0°
日光東照宮が建てられた当時の人々が北極星を基準に真北を測定していたとすると、現代の基準で測ると約0.75度のズレがあることになります。日光東照宮の方位が「ほぼ真北」になっている理由の一つとして、当時の北極星の位置を基準にした結果、現代とわずかに異なる真北が設定されていた可能性がありますが、当時の技術で可能な限り正確に測定された「真北」は、現代の定義とは少し異なるものの、技術的には妥当だったと言えます。
まとめ
1617年の日光東照宮創建時と2025年の北極星の位置の違いを比較すると、約0.75度のズレがあることがわかります。これにより、当時の測量技術で設定された「真北」は現代の基準とはわずかに異なることが示唆されています。これらのことから、日光東照宮の設計には当時の高度な技術と、風水や陰陽道に基づく思想が深く反映されていたと考えられます。歴史の奥深さ、面白さが感じられますね!